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最高裁判所第三小法廷 昭和63年(オ)462号 判決

上告人

吉村靖

右訴訟代理人弁護士

佐藤真理

坪田康男

吉田恒俊

相良博美

被上告人

田辺浩之

被上告人

田辺寛

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐藤真理、同坪田康男、同吉田恒俊、同相良博美の上告理由第一について

労働者災害補償保険法(以下「法」という。)に基づく保険給付の原因となった事故が第三者の行為により惹起され、第三者が右行為によって生じた損害につき賠償責任を負う場合において、右事故により被害を受けた労働者に過失があるため損害賠償額を定めるにつきこれを一定の割合で斟酌すべきときは、保険給付の原因となった事由と同一の事由による損害の賠償額を算定するには、右損害の額から過失割合による減額をし、その残額から右保険給付の価額を控除する方法によるのが相当である(最高裁昭和五一年(オ)第一〇八九号同五五年一二月一八日第一小法廷判決・民集三四巻七号八八八頁参照)。けだし、法一二条の四は、事故が第三者の行為によって生じた場合において、受給権者に対し、政府が先に保険給付をしたときは、受給権者の第三者に対する損害賠償請求権は右給付の価額の限度で当然国に移転し(一項)、第三者が先に損害賠償をしたときは、政府はその価額の限度で保険給付をしないことができると定め(二項)、受給権者に対する第三者の損害賠償義務と政府の保険給付義務とが相互補完の関係にあり、同一の事由による損害の二重填補を認めるものではない趣旨を明らかにしているのであって、政府が保険給付をしたときは、右保険給付の原因となった事由と同一の事由については、受給権者が第三者に対して取得した損害賠償請求権は、右給付の価額の限度において国に移転する結果減縮すると解されるところ(最高裁昭和五〇年(オ)第四三一号同五二年五月二七日第三小法廷判決・民集三一巻三号四二七頁、同五〇年(オ)第六二一号同五二年一〇月二五日第三小法廷判決・民集三一巻六号八三六頁参照)、損害賠償額を定めるにつき労働者の過失を斟酌すべき場合には、受給権者は第三者に対し右過失を斟酌して定められた額の損害賠償請求権を有するにすぎないので、同条一項により国に移転するとされる損害賠償請求権も過失を斟酌した後のそれを意味すると解するのが、文理上自然であり、右規定の趣旨にそうものといえるからである。右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第二について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の裁量に属する過失相殺の割合の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官伊藤正己の反対意見は次のとおりである。

私は、上告理由第一についての多数意見に同調することができず、原判決は破棄を免れないと考える。その理由は次のとおりである。

労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)は、業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害又は死亡に対して迅速かつ公正な保護をするため、必要な保険給付を行い、併せて業務上の事由又は通勤により負傷し、又は疾病にかかった労働者の社会復帰の促進、当該労働者及びその遺族の援護、適正な労働条件の確保等を図り、もって労働者の福祉の増進に寄与することを目的とするものであり(法一条)、労災保険事業に要する費用に充てるための保険料は事業主から徴収されるが(法二四条、労働保険の保険料の徴収等に関する法律一五条等)、国庫は右費用の一部を補助することができることとされている(法二六条)。そして、法一二条の二の二第一項は、労働者が、故意に負傷、疾病、障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは、保険給付を行わないこととし、同条二項は、労働者が故意の犯罪行為若しくは重大な過失等により、右のような負傷等又は事故を生じさせるなどしたときは、保険給付の全部又は一部を行わないことができるとし、もって、保険給付を制限する場合を限定している。すなわち、法においては、使用者の故意・過失の有無にかかわらず、同項の定める事由のない限り、事故が専ら労働者の過失によるときであっても、保険給付が行われることとし、できるだけ労働者の損害を補償しようとしているということができる。以上の点に徴すれば、労災保険制度は社会保障的性格をも有しているということができるのである。政府が労災保険給付をした場合に、右保険給付の原因となった事由と同一の事由について、受給権者の第三者に対して取得した損害賠償請求権が右保険給付の価額の限度において国に移転するものとされるのも、同一の事由による損害の二重填補を認めるものではない趣旨を明らかにしたにとどまり、第三者の損害賠償義務と実質的に相互補完の関係に立たない場合についてまで、常に受給権者の有する損害賠償請求権が国に移転するものとした趣旨ではないと解することも十分可能であるから、当然に法一二条の四第一項の規定を多数意見のように解さなければならないものではないというべきである。

もとより、労災保険制度が社会保障的性格を有することなどから、直ちに、事故により被害を受けた労働者に過失がある場合に国が受給権者の第三者に対して有する損害賠償請求権のうちのいかなる部分を取得するかという問題を解決することはできない。しかし、労災保険制度が社会保障的性格を有し、できるだけ労働者の損害を補償しようとしていることは、法一二条の四第一項の解釈にも反映させてしかるべきである。右の観点からすると、政府が保険給付をした場合においても、第三者に対する損害賠償請求権の額と右保険給付の額とが相まって、右保険給付の原因となった事由と同一の事由による労働者の損害が全部填補される結果にならない限り、受給権者の第三者に対する損害賠償請求権は国に移転しないと解することも考えられないではないが、そこまで徹底することには躊躇を感ずる。私は、労働者に過失がある場合には、政府のした保険給付の中には労働者自らの過失によって生じた損害に対する填補部分と、第三者の過失によって生じた損害に対する填補部分とが混在しているものと理解し、第三者の損害賠償義務と実質的に相互補完の関係に立つのは、右のうち第三者の過失によって生じた損害に対する填補部分であり、したがって、国が取得する受給権者の第三者に対する損害賠償請求権も、第三者の過失によって生じた損害に相当する部分であると解するのが相当であると考える。このように解すべきものとすれば、法に基づいてされた保険給付の原因となった事由と同一の事由による損害の賠償額を算定するに当たっては、右損害の額から右保険給付の価額を控除し、その残額につき労働者の過失割合による減額をする方法によるべきことになる。法一二条の四第一項が事故の発生につき労働者に過失があるため第三者に対する損害賠償請求権が損害額よりも少ない場合をも念頭において規定されたものであるとは思われない。以上のような見解に対しては、損害賠償の理論からすれば、たまたま労災保険給付があったからといって賠償の総額が増えるのはおかしいとの批判がある。しかし、労災保険が純然たる責任保険と異なることは前記のとおりであるから、労災保険が給付される場合とこれが給付されない場合とで、受給権者の受領することのできる金額に差が生ずるのは当然のことであり、右の非難は当たらないというべきである。

以上のとおりであるので、私は、多数意見に同調することができない。本件において、国は、休業給付のうち、上告人の過失によって生じた損害に相当する部分については損害賠償請求権を取得する余地がなく、第三者である被上告人田辺浩之の過失によって生じた損害に相当する部分について損害賠償請求権を取得するにすぎないから、上告人の休業損害の額から減縮すべき額は後者に相当する部分にとどまるというべきである。

なお、不法行為による被害者に過失がある場合において、被害者の加害者に対する損害賠償額を定めるにつき、被害者の過失を斟酌するか否か、斟酌するとしてもどの損害につきどの程度斟酌するかということは、裁判所が具体的事案において諸般の事情を考慮し公平の観念に基づいて決定すべきものであり、裁判所の裁量に委ねられているというべきであるが(最高裁昭和二七年(オ)第七二二号同三〇年一月一八日第三小法廷判決・裁判集民事一七号一頁、同昭和三二年(オ)第八七七号同三四年一一月二六日第一小法廷判決・民集一三巻一二号一五六二頁、同昭和三九年(オ)第三二八号同年九月二五日第二小法廷判決・民集一八巻七号一五二八頁参照)裁判所が被害者の過失を一定の割合で斟酌すべきであると判断した以上、過失相殺と労災保険給付の価額の控除の順序の誤りは法令の解釈適用の誤りに当たるというべきである。したがって、原判決には法令の解釈適用を誤った違法があり、右の違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるので、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れないところ、原審は上告人の未填補損害が皆無であるとして、弁護士費用相当の損害額につき判断しておらず、右の点について更に審理を尽くさせる必要があるので、本件を原審に差し戻すのが相当であると考える。

(裁判長裁判官伊藤正己 裁判官安岡満彦 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己)

上告代理人佐藤真理、同坪田康男、同吉田恒俊、同相良博美の上告理由

第一、原判決が労災保険からの給付額を過失相殺の対象に含めた点は、判決に影響を及ぼす法令違反であり、破棄を免れない。

一、上告人は本件交通事故に関し、一〇、六七二、八二九円の労災保険給付(休業給付)を受けている。この労災保険給付額が過失相殺の対象となるかどうかについて、第一審判決と原判決は見解を異にしている。

第一審判決は損害総額から労災保険給付額を控除した後の金額につき過失相殺している(以下「控除後相殺説」という。)のに対し、原判決は損害総額につき過失相殺した後で労災保険給付額を控除している(以下「控除前相殺説」という。)。

ところで、被害者に過失がある場合の保険給付の控除の問題は、単に過失相殺の順序ないし先後の問題ではなく、保険者(国)の求償権ないし代位の範囲の問題と表裏の関係にある。即ち、被害者、加害者、保険者(国)の三者の関係をどう位置づけ、調整すべきかということが問題なのである。これに対し、加害者が負担すべき損害総額自体(加害者に対する賠償額+国から求償を受ける額)は、被害者の損害総額に加害者の過失割合を乗じて算出され、この額自体は固定したものである。

この点については、次の三つの立場が考えられる。例えば、損害額を一〇〇〇、被害者の過失割合を三〇%、保険給付額を五〇〇と仮定しておく。

第一は、社会保険者が給付した額を限度として、社会保険者の求償権に優先権を認める方式であり、損害全額につき過失相殺した額から社会保険の給付額を控除するという控除前相殺説である。この説では、被害者が加害者に賠償を求めうる額は、1000×0.7−500=200となる。

第二は、加害者である第三者に対する国の求償権は被害者の過失割合に対応した額に限られるとするものであり、被害者にはその残額の賠償が認められることになる。従って、(1000−500)×0.7=350というより、むしろ1000×0.7−500×0.7=350とすべきであって、これが控除後相殺説に対応する。

第三は、差額説ともいうべき考え方で、全損害から給付額を差し引いた差額につき被災者に優先権を認めるものである。すなわち過失相殺の結果得られた損害額から被災者が右の差額を優先的に取得し、その残額につき社会保険者が求償権をもつというものである。この説では、被災者が損害総額一〇〇〇と給付額五〇〇の差額の五〇〇を、過失相殺により得られた額1000×0.7=700から優先的に弁済を受け、残り二〇〇を国が取得することになり、控除前相殺説とちょうど逆の結果になる(西村健一郎「社会保障給付と損害賠償」民商創立五〇周年記念論集Ⅱ四二三頁)。

二、控除後相殺説が妥当である。以下、その理由を述べる。

この説に立つ札幌地判昭和四八年二月一六日訟務月報一九巻一〇号一〇頁は次のように判示する。

(1) まず、第三者行為災害に際し、被害者に対する第三者の賠償額が被害者の過失を斟酌して定められるべき場合、被害者が既に労災保険給付を受けているときは、当該第三者と被害者の間においては被害者の過失相殺前の損害額から右給付額を控除した差額について過失相殺がされるべきである。

例えば被害者の過失相殺前の損害額一〇〇、既に支払われた労災保険給付額六〇、被害者の過失割合三割のとき被害者は第三者に対し残四〇の七割に当る二八の賠償を請求しうる。

その反面として国の第三者に対する求償権は、第三者が本来負担すべき七〇から右二八を控除した四二に限定される筋合いであり、これは結局国の代位する額がその給付すべき金額について被害者の過失の割合で過失相殺された額まで減じられたのと同一の結果になる。

(2) そもそも法に定められた労働者の給付を受ける権利は業務上の災害の発生が使用者の営利活動に基づく危険を原因とするものであることから、当該労働者の損害をその営利活動により利益をあげている使用者団体に負担させるべきであるとする考慮によるものであって、労働者に故意または重過失があるときは別として、単なる過失がある場合にも国は給付の全部につきその補償をするよう定められている。右の理は第三者行為災害に際し被害者に過失がある場合にも同様で、その過失はその災害が業務上のものであることに基づく被害者の法定の受給権に何らの消長をきたすようなものであるはずがない。しかるところ前記結論と異なり、保険給付額を控除しないで過失相殺をした後にその額から右給付額を控除した額を第三者の被害者に対する賠償額とすることは(この場合はその反面として国は被害者の総損害額に過失相殺した額が保険給付の額を越える限り全額につき求償しうることとなる)、業務上の災害であることに基づく被害者の前記法に定められた受給権を被害者の全部過失の場合に比べ名目的なものとする不合理な結果を招来する。(前記事例で被害者の過失割合が四割である場合、後者の方法によれば被害者は単に国からも給付を受けうる利益を持つにすぎず、営利活動に基づいた危険に由来する使用者の責任が考慮されないこととなり〈100×0.6−60=ゼロとなり、被害者から加害者への賠償請求はできなくなる〉、あたかも国が第三者の責任を仮に肩代わりするような観を呈する。これは被害者に過失がなく、第三者がすべての責任を負う場合に、後記のような考慮により定められた法第二〇条の趣旨から、結果的に国が第三者の責任をその給付の限度で肩代わりするようにみえるのとは異なり、不合理なものと評するほかはない。)

(3) 法第二〇条はその一項で国が第三者行為災害において保険給付をした場合は給付価額の限度で国が被害者の第三者に対する損害賠償請求権を取得することを、その二項で第三者が同一の事由で損害賠償をした場合は国がその価額の限度で補償の義務を免れることをそれぞれ定めているけれども、これは加害者たる第三者に不当な利益を与えないことおよび被害者が損害の二重のてん補を受けないことを目的としているのであるから、以上の考察に従えば、被害者に斟酌さるべき過失があるときは、国が先に保険給付をした場合には、第三者の賠償義務と重複して給付した部分についてのみ代位して求償しえ、また第三者が先に賠償した場合には同様にそのうち国の給付義務と重複する部分についてのみ給付義務を免れるにすぎないものと解すべきである。

三、右判決の正しく指摘する通り、被災者(被害者)に四割の過失しかない場合(即ち使用者の責任が相当に重い場合)にあっても、被災者の全部過失に基づく労働災害の場合と同様に、被災者は国からの労災保険給付しか受けられず、使用者に対する損害賠償責任の追求が全くできないというのは不合理というほかない。

被保険者である被災者が保険給付によって利益を受けるのが当然であるのに、控除前相殺説では、単に絶対倒産しない支払い能力抜群の国からも給付を受け得るというに過ぎず、金額上のメリットは殆どない。損害賠償請求権のかなりの部分が社会保険者に移転し、被災者の損害のかなりの部分が依然として填補されないまま残されることになってしまう。

本件について言うと、控除前相殺説に立つ原判決は、被上告人らは総損害額二三、八九〇、二三一円の四割、即ち九、五五六、〇九二円の支払い義務を負担するが、労災保険給付が一〇、六七二、八二九円なされていることにより、一、五六五、三八五円(休業損害以外の損害の四割)だけ上告人に支払えば足りるのであり、被上告人らが上告人に二、七〇〇、〇〇〇円を既に支払っているのは「払い過ぎ」であるという。

しかし、これでは、被上告人らが支払い義務を負担する九、五五六、〇九二円のうちのわずか一六%の金額しか上告人は被上告人らに賠償請求できず、総損害額二三、八九〇、二三一円のほぼ半分に近い一一、六五二、〇一七円の支払いが受けられないという過酷な結果となってしまう。

四、この原判決の考え方では、保険者たる国の求償権だけが大きな額を占めることになる。ところが、現実には、求償権が必ずしも常に行使されているとは限らない。本件の場合は比較的上告人の過失も大きいと考えたからか、理由は定かでないが、国からの求償権の行使は行われていない(原審では争点になっていなかったので――その意味で、原判決は弁論主義違反の疑いもある――調査嘱託等による立証がなされていないが、本上告理由書の作成にあたり、上告人代理人佐藤真理が天王寺労働基準監督署に問い合わせたところ、求償権の行使は全くなされていないことが確認された。しかも求償できる期間は三年なので殆どが時効にかかっていることも判明した)。従って、加害者たる被上告人らは、本来の支払い義務額である九、五五六、〇九二円のうち一六%にあたる一、五六五、三八五円を支払うだけで、責任を免れうるということになり、ますます不合理さが拡大する。

労災保険給付金が被害者の損害填補の意味を持ち、被害者に二重の利得を与えるべき理由はないので、損益相殺されるのは当然としても、保険給付を受けたことのメリットが被害者には殆ど生じず、逆に加害者にのみ生じるというのは背理である。

しかも本件の場合は工場内での労災などと異なり勤務中の交通事故であり、加害者は労災保険料納付の負担も行っていない。たまたま交通事故の被害者が勤務中であったというだけで、被上告人ら加害者が望外の利益(損益相殺の利益以上の)を受けるというのはなおさら不合理といわなければならない。

五、「社会保険者は、本来、保険事故に対してその発生原因・責任のいかんにかかわりなく給付すべきものであって、損害賠償請求権を代位取得しうるから給付すると言うものではない。社会保険者の求償権は、被災者の二重利得の禁止と加害者の不当な責任免脱の防止のために認められているのであって、その点からすれば、社会保険者の負担軽減の視点は付随的なものにすぎない。被災者の過失によって加害者が責任をもつべき賠償総額が限定されて、被保険者(被災者)と社会保険者の利害が対立するような場合には、二重填補が生じない範囲で前者を優先することが社会保険の趣旨にも、またできる限り完全な損害填補を行うという損害賠償の目的にも合致する。その点からいえば理論的には控除後相殺説あるいは差額説の方がより合理的である」(西村健一郎・前掲四二五頁)。西ドイツでも、控除後相殺説が採用されている(西村健一郎・前掲四二三〜四二四頁)。

六、さらに、控除後相殺説の根拠について、東京地判昭和四六年九月二一日判時六五二・六〇は次のように判示している。

「加害者側が賠償すべき損害金を填補することを建前とする自賠責保険金と異なり、労災保険金は、災害を受けた労働者に原則として、できうる限り完全な補償を政府により与え、保護しようとする制度下で給付されるものであって、加害者より被害者が賠償を受ける限度で補償を与えようとするものではないことは、例えば労働者災害補償保険法第一九条の規定からも、また法第二〇条の求償権の行使は、過失相殺の結果、加害者に被害者が賠償を求めうる限度を越える場合はこれをなさないとする解釈上からも、なんら支障なく肯定されるところであり、被害者としては、たとえ過失相殺により、給付さるべき保険給付額を下る賠償額しか加害者に請求しえない場合でも、これがために保険給付額が低減される由縁がなく、そうすると、労災保険金の給付をなした政府は、その給付額が限度より過失相殺斟酌割合に応じて算出される賠償応分額を、同じく右給付額を控除した金額より右過失相殺に応じて算出される賠償額を請求する被害者とならんで、各一個の請求権を加害者に対し行使しうることになるのであり、かく解するときは、本件のごとく被害者の請求においては、労災保険給付相当分の損害は、当事者の主張と齟齬なき限り、加害者の賠償すべき金額ではなく、被害者の蒙った損害額をもとに、消滅させる債権を考慮すべきことになる」

七、これに対し、控除前相殺説の立場から、控除後相殺説を批判する代表的な判例である大阪地裁昭和五九年二月二八日判決(判例タイムズ五二五号二二三頁)は次の通り述べている。

第一は、労災保険制度の趣旨、目的からの批判である。大阪地裁判決によれば、労災保険給付の趣旨は、基本的には、労災事故による被災労働者の稼働能力等の財産的損害を填補するものであるという。しかも、労災保険の受給権者に対する第三者の損害賠償義務と政府の労災保険給付の義務とは、相互補完関係にあり、同一事故による損害の二重填補を認めるものでないと解されるとの最判昭和五二年五月二七日第三小法廷判決・民集三一巻三号四二七頁や、労災保険法六七条の趣旨に照らすと損害賠償の一般法理により、過失相殺後に控除すべきであるという。

第二に、控除後相殺説では、被災労働者が死亡した事故の場合に、過失相殺による減額、損害賠償請求権の相続による各相続人への相続分に応じた配分、及び遺族のうち労災保険の受給権者に支給された労災保険金の控除という三つの問題相互の関係を被災労働者が死亡しなかった通常の事故の場合と対比して、現在の損害賠償の一般法理の下で、理論的に整合した説明を与えることは困難であるという難点があるという。

八、まず、第一の点について反論する。労災保険制度が被災労働者の損害填補の目的を有することは、その通りであるが、労災保険が社会保障的性格を有することを重視しなければならない(高松高判昭和五八年一二月二七日交民集一六・六・一五七八)。

例えば、総損害額一〇〇〇万円、保険給付額六〇〇万円、七割過失相殺の事案の時、被害者が加害者に賠償しうるのは1000×0.3=300万円のはずだが、だからといって保険給付額が六〇〇万円から三〇〇万円に低減されるわけではない。被害者の過失割合の如何にかかわらず、労災法所定の給付がなされるのである(前掲東京地判昭和四六年九月二一日)。

このように労災保険においては社会保障的性格を重視して考えなければならない。

また大阪地裁判決のいうように労災保険を基本的に被災労働者の損害の填補のための制度と考えた場合であっても、控除後相殺説の方が控除前相殺説に比べ被災者の損害填補に資することはあきらかである。控除後相殺説をとったからといって、加害者も損益相殺の利益は受けるのであり、加害者と被害者の本来の過失割合をこえて加害者に余分な負担を与えるというわけではなく、民法第七二二条二項の趣旨に反するものではない(このような観点からは、差額説をとることも十分合理性を有するが、少なくとも控除後相殺説が採用されなければならない)。

九、第二の点について反論する。例えば、被災労働者の死亡事故について損害総額を三〇〇〇万円、被害者過失三〇%、相続人は妻と子の二名とし、妻にのみ遺族補償給付(例えば遺族補償年金一時払金)八〇〇万円があるとすると、控除前相殺説に依拠すると3000万円×0.7×2分の1=1050万円となり、妻の分一〇五〇万円−八〇〇万円=二五〇万円、子の分一〇五〇万円となる。これに対し、控除後相殺説では、相続前に右労災給付金八〇〇万円を控除して、遺族一人当たりの相続分は(3000万円−800万円)×0.7×2分の1=770万円となるはずであり、受給権者でない子の相続分からも控除することになるのは、不合理だと非難する。

しかし、受給権者でない子の相続分から控除すべきでないのは当然である。要は労災給付金を過失相殺の対象に含めるか否かという考え方の対立であるから、控除後相殺説の立場では、法定相続分から妻についてのみ労災給付金を控除して、その残額について過失相殺をすればよい。遺族一名当たりの相続分は三〇〇〇万円×二分の一=一五〇〇万円だから、受給権のある妻については、一五〇〇万円から右給付金八〇〇万円を控除し、これに過失相殺して、妻の相続分は(1500万円−800万円)×0.7=490万円となり、子の相続分は1500万円×0.7=1050万円となる。

右のように解すれば足りるのであり、何ら「理論的整合性の点での難点」は存在しない。

結果的にみても、控除前相殺説では、遺族補償給付を受けた妻が、同給付を受けていない子と全く同額の金銭しか取得できず、控除後相殺説の方が、労災制度の趣旨に合致し、妥当であることは明らかである。

一〇、法理論は明快でなければならないが、単純で割り切りやすければいいというものではない。

「この種の問題は、結局は政策論、ポリシーの選択の問題であって論理必然的に一つの結論に到達するという性質のものではない。」(保原喜志夫「労災補償制度と不法行為責任」・ジュリスト六九一号)。制度趣旨をふまえて、被害者、加害者、保険省(国)の三者間の利害関係をいかに考え、調整すべきかの価値判断にかかるのであって、具体的妥当性が追求されるべきなのである。

労災法第六七条の趣旨も二重取りを許さないというものに過ぎず、控除前相殺説の決定的根拠となしうるものではない。

控除前相殺説によれば、本件被上告人のような加害者に漁夫の利を与えるばかりで、被災者(被害者)にはほとんど金銭的なメリットがないということになり、国民の健全な法的正義の観念に反することになろう。

むしろ、制度趣旨として損害の填補を強調しつつ、過失相殺の範囲を広く解する控除前相殺説では、過失相殺によって給付されるべき保険給付額を下回る金額しか加害者が賠償義務を負担しない場合であっても、これによって保険給付額が低減されないという労災保険制度の仕組みについて「理論的に整合した説明を与えることが困難」であると思われる。

第二〈省略〉

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